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語らなかったこと,聞かなかったこと. 

ちょっと頚椎を痛めてしまったので,じっとして本を読み週末をすごしていました.
そこで読んでみたのが,「嫌韓流2」.
実は本屋に行ったら在庫がなく,1冊目の方は未だ読んでいないのでした.
内容たぶん良く知られていると思うので,感じたことを書きます.
マンガ嫌韓流2マンガ嫌韓流2
山野 車輪

晋遊舎 2006-02-22
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第一に感じたことは次のことです.
言論の自由があるはずの日本において,いまさらこういう議論ができるよう
になったというか,今まであまりされなかったことを
実は僕らは不思議に思わなくてはいけないと思いました.
(もちろんゴーマニズム宣言などの本は出版されていましたし,
もっと過去においても議論されてきたと思います.
昨今の韓流ブームと,トピックしぼってマンガにしたことが
話題にしているということかもしれません.)
いろいろなことがタブー視されて,議論されずに数十年すぎてしまったこと.
特に,事実を良く知っていた時代の人たちが,意図的に語らなかったこと.
などなど,いまになって僕らの世代にたいへんな負担になっているのだと感じています.
同時に,こうした状況を良くも悪くも利用している僕らもいるのかもしれません.

第二に,アマゾンにはこの本を多数の人が良くも悪くもレヴューを書いています.
またリストマニアにも掲載されていることが多い.
そしてそうしたリストマニアに掲載されている本は,たいていの場合
どちらかの意見に偏っているということ.
どうしても僕らの思考は,どちらかに偏ってしまう.

では両者の中間はあるのか?
僕が思うに,中間は決して折衷案ではないということだと思います.
両方の意見を取り入れた上で,両者が納得するような...
なんていう都合の良い落としところなんて見つかるんだろうか?
僕らが日本人として,そして韓国人が韓国人として
歴史を考える限り,両者にうまい歩み寄りってあるんでしょうか?

もうひとつ感じたことは,
先日,Butterfly Effectという映画について書きましたが,
もしあの映画のように,後から過去を修正できるようなとき,
問題となるのは,「誰が」と「後から」という点です.
常に価値基準の変遷していく世の中においていつも誰かが,
後から修正可能ならば,いつも誰かが歴史を修正しつづけてしまい,
固定的な歴史そのものがなくなってしまうでしょう.
当時の現象を後の価値基準から判断することになる.
この価値基準の問題もまた,当時の世界情勢を考慮する必要があるのではないでしょうか.


そこで考えていたことは,
非常に困難なことではあるのですが,僕らは自分自身の帰属を
(仮想的に)一回捨てた上で,歴史を考える必要があるのではないでしょうか?
つまり一回,まっさらなどこの国にも属さない一個人として,歴史を
傍観して見る必要があるんだと思いました.

こう考えていたら,こんな本をみつけました.
写真で読む 僕の見た「大日本帝国」写真で読む 僕の見た「大日本帝国」
西牟田 靖

情報センター出版局 2006-02-24
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これもまた,続編でして前作はまだ読んでないのでした.

本の帯には,こうかかれています.

「歴史には,触れていけないタブーなどない.
右も左も関係なく,日本人として,ただ「事実」を知りたいから,(略)」


取り急ぎ,僕にできることは知ることしかないのでしょう.
作者は最後にこう書いています.

「だから僕は,すこしでも多くの直接の記憶に触れたいと,強く思う.
僕たちに残された時間は,少ない―――.」


語らなかったことの罪も大きいし,
聞かなかったことの罪も大きいですね.

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