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「議論のレッスン」を読む 

議論のレッスン
議論のレッスン福沢 一吉

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「議論のレッスン」 福澤一吉 生活人新書

アマゾンで評判が良かったので買って読んでみた.
丁度風邪を引いて寝ていたので,ボーッと死ながらw読み進める.

まずは以下の新聞の社説を読んでみましょう.これはこの本の後半に掲載されていたものです.この社説,内容ではなく,議論の仕方がダメダメなんです.議論にすらなっておらず,著者いわく「議論もどき」になっているということ.どこが駄目なのか考えながら読んで見ましょう.


=====引用はじめ=====
『朝日新聞』社説 平成13年4月4日

 来年度から小中学生が使う教科書の検定が終わった。「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史・公民教科書も、修正のうえ合格した。

 国の検定はできるだけ控えめであるべきだ。多様な教科書があってよい。

 しかし、国際化がさらに進む次代を担う子どもたちには、事実を多角的に認識し、自分の頭で判断する力をつけてほしい。その点で「つくる会」教科書は、なおバランスを欠いている。教室で使うには、やはりふさわしくない、と思う。

●歴史の見方が一面的だ

 たとえば、戦争を日本に都合よく見ようとする偏狭さである。第2.次世界大戦下、日本が占領した地域の代表者らを集めた「大東亜会議」に1ペーツを割くなど、アジアの解放を導いた、とする姿勢は、検定を経ても変わっていない。

 天皇中心の視点も際だっている。神話を物語として紹介する域を超え、「神武天皇の東征伝承」などをルート地図まで入れて、7ページにわたって載せた。戦前の国定教科書と見まがうほどだ。

 他方で、庶民の史料は軽視し、各時代の女性や子どもの生活ぶり、アイヌや琉球文化などの記述が少ない。

 繰り返し光を当てているのは、特攻隊員の遺書など、国家への献身だ。まず国家秩序ありきの考え方が色濃い。

 滅私奉公を美徳とするかのような社会観は、公民教科書にも貫かれている。

 各国の憲法を引用して「国民の崇高な義務として国防の義務が定められている」と強調する。口絵には、日本と中国の間で領有権問題が起きている尖閣諸島に代議士が上陸した写真が使われた。

 「ナショナルな感覚が、高度情報社会に対する抵抗の砦」と書き、「『国民の歴史』を振り返る』ことが大切だと結ぷ。グローバリゼーション(世界化)の過程にさまざまな問題があるのは事実だ。しかし、その大波に対して、過去を肯定するナショナリズムで対抗しようというのは、あまりに後ろ向きではないか。

 国際社会の未来について、他社の教科書の中には、生徒の作文を素材に「世界が一つになるのは無理」、「やる気になれば可能」などの意見を紹介し、考えてみよう、と呼びかける工夫をしたものもある。

 文部科学省が授業の基準とする学習指導要領も書いているように、「広い視野に立って、多面的・多角的に考察し、国際社会に生きる民主的、平和的な国家・社会の形成者」を育てることこそ、大人に課せられた責任である。

 『自虐史観の克服』の名の下に、戦争の加害などの負の部分を覆い隠そうとする。子どもをそんな温室に閉こめたら指導要領のめざす「国土と歴史に対する理解と愛情」もひよわな形でしか育つまい。

 そもそも、教材としての水準にも疑問なしとしない。「気韻生動」という美術を批評する言葉や、「『市民』が『公民』から分離する」などの言い回しは、大人にさえわかりにくい。中学生に理解しやすく伝える、との配慮に欠けている。

●検定をもっとオープンに

 検定の途中で、「つくる会」教科書の原本、いわゆる白表紙本が「流出」したと、国会で問題になつた。しかし、教科書会社が白表紙本を手に学校を回るのは珍しいことではない。検定終了まで秘密が守られているかのように振る舞う、本音とたて前の乖離は、不毛な混乱を生むだけである。むしろ、「密室」といわれてきた検定過程を、自表紙本の当初からの公開も含め、もっとオープンにすべきではないか。

 これから、各地の教育委員会で教科書を選ぶ採択の段階に入る。21世紀を切り開いていく子どもたちを育てる教科書だ。教育委員会まかせにせず、現場の先生はもちろん、親も、住民も関心をもち、声をあげていく必要がある。

=====引用終わり=====



どこが駄目だったかわかりましたか?
答えは本の中に.
はい宣伝でした.


さて,この本ですが,日本人の議論が,マスメディア,政治家を含めていかにまずい議論をしているのかを,まずは丁寧に紹介してくれます.例は単純なものが多いのですが,そのせいか逆にポイントはわかりやすかった.

その後,議論のモデルとしてトゥールミンという方のモデルを利用して,議論を見る視点を養ってくれる.たしかに物事を見るのには,切り口が必要だ.論理的でさえあれば,なんでも伝わると思っているのは,勘違い.ある程度は,議論の型にはめて考えることができるようになると,暗闇での手探りから,懐中電灯くらいは手に入れることができる.しかし,ちょっとした明かりでも,あると無いとでは決定的な違いがある.

中でも,僕が特に面白いと感じたのは,日本人が使いがちな
「やはり」
という単語.この単語ほど怪しい使われ方をするものは無いのだそうだ.著者の言葉をそのまま使って,「やはり」を解説しよう.

「議論における論拠について,自分自身も気が付いていないし,論拠を形成している仮定についてもよくわからないときに,自分と相手がともに”論証の必要が無い”と認め合える基本原理を暗黙の了解のうちに用意し,自分の主張と根拠の組み合わせの整合性はその暗黙に了解された原理(諸仮定を含む)に立脚すれば了解可能であろう」と発話者が考える場合に「やはり」が用いられる.

ちょっと用語を説明すると,議論において「根拠」と「主張」には飛躍がかならずある.「論拠」というのは,「根拠」と「主張」との飛躍を論理的に結びつけるためのもの.

で,「やはり」は,その論拠について発話者が勝手に「暗黙に了解」を想定し,しかもそれが「了解可能」だと,また勝手に判断しているときに使われるというものということになる.その意味で,「やはり」を使った議論は,多くの場合聞いている側が一々論拠を足して補ってやる必要がある上,そもそもこうしたことが「暗黙に了解された原理」として議論すらされていないことがある.
結果,「やはり」を使った議論というのは,論理の飛躍が甚だしい.議論において,「やはり」を使うことは,やはり(笑)避けなくてはならない.

ただ,この本の欠点ではないのだが,トゥールミンのモデルで使われている用語の日本語訳がいただけない.使われている単語は,「根拠」だの,「論拠」だの,「経験的事実」だのといった一般に存在するもの.しかしこれがトゥールミンのモデルではちょっと限定された意味を持っている.一般にも使われるような用語が,特定の意味を持って専門用語として登場してしまうので,混乱することこの上ない.しかしこれは著者の責任ではない.最初にトゥールミンのモデルを輸入し,変な訳をつけた日本人の責任だろう.こういったところは,輸入学問が多い日本の問題点といえる.そういえば,岩波文庫の和訳が何故あんなにわかりにくいかっていう面白い本があったような気がしたなぁ.

そんな欠点を除いても,この本はそこそこお勧めです.
680円+税
で2002年発売.

僕の評価は,500円くらいかな.
トゥールミンのモデルなんていう,面倒な用語を持ち出さずに,解説してくれていれば,650円はあげられたのに.でも用語は慣れてしまえば,なんとかなります.

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