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「確率的発想法」を読む 

確率的発想法~数学を日常に活かす
確率的発想法~数学を日常に活かす小島 寛之

おすすめ平均
starsさあ、どう使うか
starsロールズ的社会理論への新しいアプローチ

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「確率的発想法 数学を日常に活かす」 小島寛之 NHKブックス

を読む.
この人は,とても難しいことを,わかりやすく具体的にイメージできるように説明してくれる.始めのほうで,基本的な確率の発想を学びつつ,最新の考え方まで,紹介してしまう意欲的著作.しかし自己満足で終わらないのは,読み手のことを考えに考えて書かれた著者の努力の故だろう.

本書の内容は,つぎのような感じ.
不確実な状況下で,人は如何に推論をし,意思決定を行っているか.こうした意思決定を行う確率的な発想方法を紹介していくもの.

フィッシャーの「頻度主義」からスタートする.期待値による意思決定.期待効用理論.そして,主観確率を考慮した「ベイズ主義」の解説に進んでいく.
ここからは,話がすこしずつ変わっていく.この本の帯には,「予想的中! 天気予報からリスク論まで,先行きを見通す推論のテクニック」と書かれており,不確実な状況下でいかに効率的に意思決定を行うのが良いかという本のように感じてしまう.しかし,実際の内容は,「不確実な状況下で人間は如何に意思決定を行っているか」というより根源的な問題を考察している.きちんとした学問をとても分かりやすく紹介してくれているのだ.そして,より現実的な人間像へと迫っていく.
自然科学的に自然な期待値による意思決定からはじまり,期待効用理論へとすすむ.しかしここで,エルスバーグのパラドクスを解説して,期待効用理論では説明できない状況があることを教えてくれる.詳しくは省くが,確率が分かっている不確実性と,確率が分かっていない不確実性に対して,人々は好みの違いを持っていることがここで明らかになる.
そこででてくる概念が,ナイトの不確実性だ.ナイトは確率計算できるような状況は,ちっとも不確実ではなく,それは測定可能なリスクだと言った.ナイトは不確実性とは確率さえわからない状況のことをいうと主張した.これをナイト流不確実性と呼ぶらしいが,非加法的確率? ショケ微分? などさっぱりしらないので,こんなのわかるはずないと思っていた.しかし著者の説明は秀逸.これなら算数ができれば十分に理解できる.詳細はやはり省くが,情報が欠如しているときには,人はいろいろな想像をしてしまう.だから様々な確率環境を想定してしまう.こうしたときには,様々な確率状況の中で最悪の結果が起きたとき,その中で最も傷の浅いような行動を選択する.これが「不確実性回避」という行動になる.実はこのナイト流の不確実性理論によって,エルスバーグのパラドクスを説明することができる.こうして少しずつ人の意思決定のしくみを解き明かしてくれる.
この後は,ナイト流不確実性による不確実性回避とコモン・ノレッジとの関係,ロールズの公正原理との関係へと話が進む.どちらの議論も奥が深く,既に応用分野へと突入してしまっている.確率的発想法で,こんなことまで考えることができますというのはよくわかる.しかし,こうした応用分野に関しては,そもそもの問題意識を共有していなくては,まったく面白さが伝わらない.どんな分野でも応用分野が一番刺激的だし,面白いところなのだけれど,もう少し基本的なところをいろいろと教えて欲しかった.ただし,コモン・ノレッジの重要性や,ロールズの正義論などについて問題意識を共有している人が読めば,間違いなく面白い.またこの本を読んで,初めて問題意識を持つことができるようになる人もいるかもしれない.
最後の章で,著者は新しい仮説を提示している.「過誤に対する支払いによる再最適化」だ.人々の現在の状況はかならずしも,全てが自分の選択や能力に依存したものではなく,偶然や運にも左右されている.そのため成功してもいくばくかの「いごごちの悪さ」を感じてしまうという仮説だ.これを是とするならば,ジョン・ロールズのマックスミン原理に根拠を与えることができるとしている.「マックスミン原理」は「もっとも不遇な人たちの利益が最大になるように社会を設計すること」だ.そして,人々が「過誤に対する支払いによる再最適化」をするのであれば,成功した人がもしかしたら不遇な状況にあったかもしれず,いまの成功状態にいるのは過誤によるものだと考え,成功者からの富の移転を容認するというもの.これは慈善活動ではなく,個々人の選好による社会の様態として現れると主張するのだ.とても面白い主張だった.
ただ,著者の思考は少し宇沢氏に毒されている感がある.随所に宇沢弘文の名前がでるのもそうだが,たとえば,ミルトン・フリードマンの「選択の自由」について,不遇な環境にある人々についてフリードマンが次のように主張しているとしている.
「彼らには,いくらでもチャンスがあった.ちょっと努力すれば,もっと暮らし向きは良くできた.それをしなかったのは,彼らが(確率ゲームの選択という意味で)現状を望んでいたからだ」
と.しかしフリードマンは同じ本で次のようにも述べている.
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資本家がどんなに冷酷な人間かを示す証拠のひとつとして,鉄道王であったウィリアム・H・ヴァンダービルトが取材にきた新聞記者に,「公共なんてくたばりやがれ」といったという例があげられたことがある.しかしこんなことは,19世紀のアメリカ社会において,慈善事業が百花繚乱と咲きほこった事実を見れば,どんなに根も葉も無いことかがわかる.私立の小学校や中学校,高等学校,大学が激増していった.外国への伝道活動が爆発的に増大していった.非営利的な私立の病院や孤児院やその他無数といっていいほどの慈善施設が,雨後のタケノコのように次から次へと設立されていった.動物虐待防止協会からYMCAやYWCAまで,アメリカ・インディアン人権協会から救世軍まで,ほとんどありとあらゆるアメリカの慈善団体や公共団体は,その当時に設立されたものだ.慈善活動を組織するのに,利潤を目的とした生産活動を組織する際よりも市民の間の自発的交換の方が有効でないということは決してない.
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これもまた本書の最後の章の議論とかならずしも矛盾しないだろう.むしろ,自然発生的に生まれる(あるいは個々人の選好による社会の様態として現れる)慈善活動の根拠を著者が与えているとすれば,それはむしろフリードマンの思想へのサポートともいえる.フリードマンが言っているのは,人為的にまた強制的に組織した福祉政策は,非効率で天下りや汚職の温床になるから望ましくないと述べているのであって,こうした慈善活動までは否定していない.むしろ自然発生的に生まれるそれは,選択の自由の結果なのだ.そして著者の最後の章の仮説がただしいとすれば,それは個々人の選好による社会の様態として現れるのであるため,より選択の自由こそが望ましいといえるのだろう.

ともかくも,「確率的発想法 数学を日常に活かす」は多くの人が購入して読むに値すべき本だった.これほどまでに幅広く難しい内容を,僕のような素人にとても分かりやすい言葉で伝えてくれた著者に感謝.

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