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九段の母 

九段の母
石松秋二 作詩
佐藤富房 作曲

上野駅から    九段まで
かってしらない  じれったさ
杖をたよりに   一日がかり
せがれきたぞや  会いにきた

空をつくよな   大鳥居
こんな立派な   おやしろに
神とまつられ   もったいなさよ
母は泣けます   うれしさに

両手あわせて   ひざまずき
おがむはずみの  おねんぶつ
はっと気づいて  うろたえました
せがれゆるせよ  田舎者

とびがたかの子  生んだよで
いまじゃかほうが 身にあまる
金鵄勲章が    みせたいばかり
逢いにきたよぞや 九段坂


1936年の国民歌謡.出所は下にある上坂氏の本から.
プロパガンダと言われればそれまでですが,
戦没者の遺族でもない僕でも共感できる部分は多い.
そういう教育を受けてきたのか,日本人はそういう気質があるのか,そんな社会学的なことは考えていませんが,
当時のプロパガンダだと一蹴してしまうことはできな気がします.

国のために貢献し亡くなった人を国が弔ってくれることを素直に誇りに思える.
こうした感覚は必ずしも宗教感とは関係ないのだと思います.
思わず念仏を唱えてしまう母.上坂氏は,おそらく実話だったろうと推測しています.
アメリカのアーリントン墓地は,宗教にかかわらず埋葬してくれる.
これをうちの宗教では,勝手に埋葬されては困りますというアメリカ人はいるんだろうか?
それともやはり多くのアメリカ人は悲しみつつも,それを誇りに思っているんだろうか?

日本の場合は,埋葬しているのではなくて,祭っているんですよね.
だから遺骨がある場合には遺族の下にある.
当然ながら遺族が仏教徒であれば,お墓に埋葬されているわけです.
あえて言えば遺族の同意無しに勝手にということになるのでしょうが,当時の人たちにしてみれば,想定の範囲内で,かつなんかこう偉くしてもらってみたいな感覚はあったのではないでしょうか?(あたりまえですが例外がいたかもしれません)
祭られている当人たちは,明確な合意や契約は無かったとしても,祭られることはいわゆる「想定の範囲内」だったのではないでしょうか?
それを今の価値観を持った僕らがどうこう言うことが,本当に慰霊なのでしょうか?
当時の価値観を慮って靖国に祭られることの意味を考える必要があるのだと思います.

今現在のいわゆる靖国問題は,どちらかというとA級戦犯合祀問題になっていますね.
靖国が問題なのではなく,A級戦犯合祀が問題なんだという議論になってきていることは,まだまだ本質的ではないものの,だんだんことの本質に近づいてきた気がします.

次には,A級戦犯とは何か?東京裁判とはどういった裁判だったのか?サンフランシスコ平和条約って何とか?
歴史をきちんと振り返る必要を感じました.
そうすれば,靖国問題は,靖国問題でもなく,A級戦犯合祀問題でもなく,
ことの本質は,「東京裁判問題」であったことにたどり着くのではないでしょうか.

少なくとも一つわかったことがあります.
なんにしろ僕はいい歳して物事を知らなすぎます.

ちなみにこの本,恥ずかしながら知らないことがたくさんかかれていてとても興味深く読めました.
ただし,客観的事実と著者の体験談と著者の主観が織り交ざっていますので,ちょっと注意して読まなくてはなりませんでした.

戦争を知らない人のための靖国問題戦争を知らない人のための靖国問題
上坂 冬子

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