スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

価値観の置換と価値観の勘違い 

先日読んだ本「アフリカ」を読んで考えさせられることがあった.

フランスの植民地時代から,セネガルにはムリッド教団という
イスラム教の教団があります.アーマド・バンバを創始者として,
その血縁がマラブーとして活躍している.

聖地トゥーバでは,国家がすべき行政サービスに相当するものは,
教団が行っている.彼らは学校を運営していて,親から預かった
子供たちにコーランを教える.
子供たちは,共同生活をし,僕らの感覚でいえば劣悪な環境で生活する.
コーランを勉強するほか,学校所有の農場で農作業をする.

それでも生活はましなのかもしれない.セネガルでは人口の5割以上が子供.
そのうちのかなりの子供たちが物乞いをしている.
ただし,イスラムの教え「分け与えよ」が彼らの暮らしを支えてくれている.
弱いものを助けるのは,イスラムの教えてでは当たり前であって,
子供たちの言い分は面白い.
「大人は機会があれば与えたいのだ.与えることは喜びなのだ,
だからもらいに行ってあげるのだ.」

農場で働けば,卒業後も農場で働ける.そして何年かすれば
自分の土地を与えられ,独立が許される.
こうして,人人の経済基盤ができあがる.

この関係,西洋の価値観からは批判の対象となってるらしい.
ユニセフは,子供の強制労働を批判している.

西洋の金持ち白人の価値観で,別の国の宗教文化を批判することに
意味はあるんだろうか?

ただ,自分に当てはめて考えた時,同じことをしていないだろうかと不安になる.
他国の生活習慣をみて,自分の国の価値観だけで判断してないだろうか?

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://kerso.blog52.fc2.com/tb.php/101-9b64753d

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。